ブラックライトニング シーズン1-1

 

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DCコミック初のアフリカンアメリカン・ヒーロー

ブラックライトニング

アメリカンコミック原作の映像作品が日本で普及して以降、女性や幅広い世代でアメコミが親しまれているように思う。ハロウィーンにはハーレイクインの仮装が人気となり渋谷の交差点ではガシャポンのダブったキャラで組んだスーサイドスクワッドが出動してしまったのは記憶に新しい。そして斬新だった。

さて、そんなスーサイドスクワッドやスーパーマン、バットマンらが登場するDCコミックから新たなヒーローの活躍を描いたドラマが登場した。それがNetflixオリジナル作品であるブラックライトニングだ。ちなみにこのウィークリーレポート初の作品でもある。このウィークリーレポートはレビューではなく、毎週内容について感想や色々な考察を述べる記事である。

もちろん、ネタバレがあるためぜひ作品を視聴した後に記事を読んで欲しい。つまり、この記事の使い道としては「映画を観た後の喫茶店」であれば嬉しい。

ブラックライトニング 「どんなヒーローなのか」

ガーフィールド高校の校長ジェファーソン・ピアースは過去にブラックライトニングとして100(ハンドレッド)という悪の集団と戦ってきた。しかし、いつからか強盗や悪徳政治家などあらゆる悪党と戦うようになり、肉体も精神もボロボロになりついには妻と別れてしまう。そしてジェファーソンはヒーローを辞めてしまう。ブラックライトニングは過去の存在となりつつも、町に蔓延る悪を排除できない警察ではなく人々はブラックライトニングの『復活』を待ち望んでいた。

このドラマの見どころはDCコミック初のアフリカンアメリカン、つまり黒人ヒーローの存在にある。ブラックライトニングではアフリカ系の人々が受けている差別や貧困を真正面から描こうとしているように感じた。例えば、貧困層においては犯罪と生活が隣り合わせの現実がある。薬物の売買やその他のビジネスは一部の人間にとっては美味い商売だが、リスクに見合った報酬など期待もできない。ジェファーソン高校の生徒の多くは身内に刑務所に入っている者がいるように、街全体は貧困と差別が蔓延してもはや手が付けられない状態であった。かつて、ブラックライトニングはその現実と戦っていた。悪を正すべき正義として彼は自らを犠牲にしてきた。

アメコミヒーローだけではなく、ヒーローに共通するのは『自己犠牲』だ。仮面ライダーもウルトラマンも自己犠牲と強さと哀愁が戦いに美学をもたらしている。ブラックライトニングも同様に自己犠牲を続けたが人々は彼を頼り過ぎたのだ。日に日に傷つき、病んでいく彼を妻・リンは見ていられなかった。

ヒーローは復活する。 だから美しい

さて、ヒーローは戦う。それが宿命であり、人々が求めていることだ。戦いを辞めたはずのジェファーソンが再びブラックライトニングになったのは娘のアニッサとジェニファーが拉致されたことによる。愛する家族を救うために再びヒーローのスーツの袖を通し、見事救うまでが第一話だ。

第一話全体を通しての印象は「丁寧」であった。筆者はこのドラマに二つのギアが存在しているように感じた。一つ目は上記した社会的な描写にある。つまり、人種差別や貧困などを「既知の問題」として省略せずに伝えている。少なくとも第一話は「何が問題となっているのか」「世界はどんな状況なのか」ということを丁寧に描いていた。もちろん、二話目以降もその厚みは増していくと思われる。

二つ目のギアはやはり「アクション」にある。ブラックライトニングは電撃を操るヒーローだ。かめはめ波や波動拳のように放つこともできれば、電子機器を破壊することも可能だ。そんなブラックライトニングが悪の組織100と戦う理由は一つ目のギアで丁寧に理解させているように思う。個人的に面白かったのは「アクションシーン」にあった。香港のアクション映画を中心に生まれた『パワーパウダー』を知っているだろうか。小麦粉のようなものを服や拳に付けておき、パンチやキックを当てた際に粉が舞い上がるようにしている。それにより、打撃の力強さや迫力を増すという手法なのだが、ブラックライトニングにも同様の視覚効果を感じた。ブラックライトニングが拳に電気を溜めて敵を殴る際に帯びた電気がさく裂するようなエフェクトがあるのだが、パワーパウダーのそれに似ていた。ジャッキーチェンの映画でカンフーのカッコよさを知った僕や当時の世代には馴染みのある演出かも知れない。

ヒーローは戦う宿命にある。と言い切ってしまうと何だか「いや、本当にそうなのか?」なんてそれに反する考え方を探してしまう癖があるのだが、「ヒーローは戦う宿命にあるのだ」。だからお父さんだってヒーローになり得るし、僕だってゲーマーとして世界の最前線に立つと決めているからにはヒーロー気分だ。実際に何と戦うかなんて人ぞれぞれなのだが、少なくともブラックライトニングは100と戦うことになるのだろう。そして社会が抱える問題とも戦うのだ。『自己犠牲』が必ず美しいとは言わないが、自己犠牲は美学と結びつきやすい。これから毎週、そんな美学をお伝えできればと思う。ドラマが気になる方はぜひ、視聴してみることをおすすめする。

ライター/Semapho