それまで当たり前だと思っていた世の中と決まり事

 

僕の『Sublime以前』、世の中の『Sublime以後』

前回までの「Sublimeと僕」

学校の頃、野球部で万引き騒動があった。グラウンド近くの百円均一ショップ。ヤンキーの部員が犯人だったがなぜか僕の名前も挙がってしまった。そして何も分からない内に僕は犯人になった。逮捕状の代わりにいきなりのグーパンチを三発もらい口の中は鉄の味に溢れた。「僕じゃない」の言葉は血と共に飲み込んだ。そうしなければ四発目をもらうことは分かっていたし、怖がりの僕は涙をこらえるので精いっぱいだった。

には兄がいて世代的にHi-Standardど真ん中だ。兄は常に身近な社会の理不尽に反発していた。親、学校の先生、警察。それでも父親のことをまともに知らない僕にとって兄は父のような存在でもあり、母と同じく僕のことを愛してくれていた。高校に入り、とあることから兄が少し遠くに行ってしまった。簡単には超えられない壁の向こうの兄のことを思うと涙が止まらない僕は兄の愛用していたフェンダージャズベースを手に取り、身近な社会の理不尽と戦う勇気に出会った。それがパンクロックであり、甘ったれの僕が表現するきっかけだ。

回の「Sublimeと僕」はSublime以前と以後について交えて語っていく。紹介するバンドやミュージシャンはその時々に強く影響を受けたもので、どれもこのウェブサイト「セマフォの屋根裏部屋」を築くきっかけとなる。

最初のパンクロック

にとって高校生活はパンクロックバンドを組むことと引き換えに課される課題のようなものだった。常に何かに苛立っていて、頭の中にはRancidの「Hyena」のベースラインやNOFXの「Leave it Alone」がループしている頃だった。かと言ってヤンキー生徒とはかけ離れていて、成績もまあまあだった。問題があるとすれば人見知りが故に女の子とまともに目も合わせられないところだろうか。

Rancid / Hyena

NOFX / Leave it Alone

まりは僕にとって最初のパンクロックはRancidやNOFXであり、GreenDayだった。僕が高校の頃には「GreenDayがパンクなのか、そうでないのか」という議論がアルバム「American Idiot」によって再燃していた。僕も「パンクとはなにか」という葛藤はあったが、すでに誰かの定義したパンクに収まること自体がパンクでないことには気が付いていた。誰かが決めた『当たり前』や『世の中の決まり事』というものは放っておくと身に付いて剥がれなくなる。GreenDayがパンクかどうか議論していてもまず答えは出ないし、出た答えに興味が湧くはずもない。間違いないのは『American Idiot』が世界中で大ヒットし、日本でも爆発的なセールスを叩き出したこと。そして、その年のGreenDayの日本ツアー、福岡国際センターにて僕は人生初めてクラウドサーフをした。人間が人間の上を泳ぐなんて『世の中の決まり事』とは切り離されているはずだ。そうであって欲しい。少なくとも僕はそれら遥か上空でビリー・ジョー・アームストロングとそれを共有した。この時、17歳だった。

失恋と文庫本とSublime

校卒業後、僕はアメリカに留学するつもりだった。というよりアメリカに行ってメロディックハードコアのバンドシーンに首を突っ込めばなにか人生が変わると思っていた。甘ったれにもほどがある。かつてバスケットボール漫画で「その空気を吸うだけで高く飛べると思っていた」という言葉が今となっては頷ける。

はとある大学の短期大学部に滑り込みで入った。またしてもパンクロックバンドをするためと引き換えに学生生活を送ることになったのだ。これはあくまでも僕が反省した結果得た持論なのだが、大学は将来なにをするか決めるために行く場所ではないと思っている。将来なにをしたいのか決めてから行くものなのだと分かったのは卒業後だ。

は高校時代に奇跡的に女の子とお付き合いすることができた。女の子とは上手く話すことはできないのは今も変わらないが短大時代はもっと酷かった。そんな僕に大人な女性との恋が訪れたのは二回生の時だ。そして、前回の「Sublimeと僕」で語った初めてのSublimeとの出会いはこの頃だ。

のバイト先は商業施設であり、僕が働くすぐ隣の店舗にこれまで見た女性の中で最も可愛い、と思える3つ年上の女性がやってきた。「レボリューション No.3」や「ライ麦畑でつかまえて」など当時読んでいた小説に登場するヒロインのような特別な感覚を彼女に持っていた。

草や笑い方一つ一つにドンドン惹かれていくうちに僕は自分の中のパンクロックが打ち砕かれていくような気がして不安になっていった。それまで身近な社会の理不尽に苛立つことしか原動力にならなかったのに、彼女が身近な存在になるたびに社会との間に空いた溝すら満たすような感情が生まれていたのだ。もしかするとそれはSublimeとの出会いも関係していたのかも知れない。そして、僕と彼女は初めてのデートに行くことになった。

が真っ赤なおっさん、なんだかよく分からない酒を飲むお姉さんなど変わり者がちょこちょことフロアに広がっていた。「福岡のクラブに遊びに行きたい!」というリクエスト通りに僕はよく行っていたクラブに彼女を連れて行ったのだ。普通だったら「どんな音楽が好きなの?」とか「仕事は慣れた?福岡の生活はどんな感じ?」などという切り口から話をするべきだったのだが、僕は彼女にひたすらSublimeの凄さを語ってしまっていた。もし、タイムスリップ出来たのならその時の僕にドロップキックをお見舞いしてやりたい。もしくは、彼女とデートする前に全力で阻止しても良いかも知れない。なぜかって?

となってはなぜ彼女がそんなコネクションを欲していたのか分からないけれど、彼女は僕とデートに行ったクラブの偉い人とその日のうちにデキてしまったのだ。後日談ではあるが「うぶな子がいて利用したら面白そう」などということをその相手に語っていたらしい。やっぱり世の中なんてロクでもない。すっかり僕は元通りのどうしようもないパンクスに戻ってしまった。もしかすると前の方がマシだったかも知れない。

僕は20歳になっていた。

世の中のSublime以降

SublimeとLong Beach Dub Allstarsが世の中に与えたインパクトは現在もアメリカを中心に展開する「ゆるいレゲエバンド」のムーブメントに残っている。Sublimeの人気が高まっていた頃、ハイスクールに通っていた二人の少年、カイルとマイルズはSublimeのボーカル・ブラッドが通うという言われている店にデモテープを持っていこうとした。けれど、年齢制限が厳しいため少年たちは母親にその役目を頼んだのだ。

年たちは当時粗削りなパンクとメタルであったが、確実に光る才能があったことをブラッドは見抜いていた。そしてマイルズたちにレゲエのギターの弾き方を教えたのだ。これが後に爆発的に続出する『Sublimeチルドレン』と呼ばれるSublimeに育まれたバンドの第一号だ。

現在、USレゲエシーンをけん引しているバンド、Slightly Stoopidである。

次回はSlightly Stoopidにハマった21歳からのことを語ろうと思う。またチェックしてもらえると嬉しい。

ライター / Semapho